ナイチンゲールとヘレンケラーとマザーテレサ。
昔になんか偉いことしたらしい女性ビッグスリーです。
あなたもうすうす感づいていることでしょう。
「名前は知ってるけど、実際に何をやったのかはわからない。
いや、図書館で偉人の漫画シリーズみたいなので読んだ記憶はあるけど・・・。
同じ時期に読んだから、誰が何をしたのかごっちゃになっている。」
この悩みを抱えた人が日本には5千万人はいることでしょう。
あなたの知っていることと言えば
- みんな良い人
- ナイチンゲールは黒髪
これだけですよね。
そんな悩めるあなたに、わかりやすくご紹介します。
「今年で30歳になる。キリストが伝道を始めた歳だ。
もはや子供っぽいことは終わり。無駄なことも、恋も、結婚も。」
イギリス 1820年~1910年
ナイチンゲールは上流社会出身で、すでに社交界などでは有名人でした。
そのナイチンゲールがクリミア戦争で従軍して、看護に尽くしたことが新聞や雑誌などで話題に。
献身的な看護で死亡率の低下、病院の環境など大きな変革を成し遂げ「クリミアの天使」と呼ばれました。
36歳でクリミア戦争から帰還した後、90歳で亡くなるまでの54年間はベッドの上での生活だったので、看護師として働いたのは2年のみ。
看護や福祉に関するものから、感染症予防のための衛生対策、病院の状況を分析。
数々の統計資料を作成し、重要な提言を続け政府や議会を動かしました。
看護とはどうあるべきかということを始めて明らかにしたのです。
米国統計学会の名誉会員にもなっていてイギリスでは統計学の先駆者と呼ばれています。
「言葉というものがあるのを、はじめて悟った日の晩。
ベットの中で、私は嬉しくて嬉しくて、この時はじめて、“早く明日になればいい”と思いました」
アメリカ 1880年~1968年
1歳の時に高熱で視覚と聴覚を失う。
6歳の時に家庭教師のサリバン先生と出会い、文字と言葉をどんどん覚えて聾唖者の知的発達を疑っていた人々を驚かせます。
その噂が広がり大統領と面会するなどして有名人に。
名門大学に入学してギリシャ語、ラテン語、ドイツ語、フランス語を習得。
(サリバン先生も一緒に全授業を受けて講義内容を手の平に伝えた)
盲人が就職可能な社会設備を訴え、ヘレンの発案で米国盲人援護協会が創設。
支援者を求め各地を訪れて100万ドル以上の寄付を集めます。
5種類に分かれていた点字をひとつに統合すべく尽力。
各国で障害者のために講演活動を続けた。
「世界平和のためにできることですか?
家に帰って家族を愛してあげてください。」
マケドニア 1910年~1997年
カルカッタの聖マリア学院で地理を教えていて、その後校長に。
汽車に乗っていた際に「全てを捨て、最も貧しい人の間で働くように」という啓示を受けたといいます。
それから学校に行けないホームレスの子供たちを集めて街頭での無料授業を行うようになり、教会や地域の名士たちからの寄付が寄せられるようになります。
その後ホスピスや児童養護施設をどんどん開設していき、ケアする相手の状態や宗派を問わないテレサたちの活動は世界から関心を持たれ、多くの援助が集まりました。
インド国外での活動が可能になったテレサは全世界規模で貧しい人々のために活躍するようになります。
その活動が映画化や書籍化され全世界で知られるようになっていくことに。
ノーベル平和賞、アメリカ合衆国名誉市民など数多くの賞を受賞。
お亡くなりになった後は、インドで国葬として盛大に行われたということです。
(インドで首相や大統領以外で国葬されたのはマザーテレサとサイババのみ)
むしろ「サイババって凄いんや」と感じるけど。
もし僕みたいに「ちょびっとだけ世界史や偉人に興味があるけど、勉強が嫌い」という人は漫画盤の「世界の歴史」をおすすめします。僕も今これを見て勉強中です。
ノーベル賞を受賞しましたか?